何がイヤだったのか考えてみる(その3・彼らが求める人物像)。
ちょっとまえに、パート先に、・・えーと、まわりくどい言い方をするが、「直接、わたしの雇用先とは関係ない団体に雇用された労働者たち」が、来た。
ちょっと、わたし、世間を勉強させていただきました。
あんな勤務態度で時給もらえるんなら、転職考えようかしらと思った次第だ。少なくともわたしならもうちょっとマシな仕事ができると思うよ。
あれは、うちの店の評判を落とすために来た悪魔の使いかも。とも思いましたん。
あのヒトたちが、どうしてあんな勤務態度でいいと思えるのかが不思議。判断つかないのかしら? つーか自分の頭でそれが判断つかないんなら、考えなくていい。働け。
と、ここまで、思って、そうか、と膝を打ちました次第ですの。
ヤツラが求める労働力とはそういうことのなのですね。
受講した方にはおなじみのお題目。「やるかやらないか迷ったときはやる」。つまりは考えるな。ってことね。(余談ながら初めてこのお題目を耳にしたとき、わたしは連想ゲーム的にレミングを思い浮かべました。そしてもっとひどいことを考えましたが、今のわたしは「冷静」が旗印なので、それを書くことは自粛します。)
自分の頭で考える人間は要らないんだ。
「つうか、ふつう企業研修って、職業知識を学ぶためにあるものなんじゃないの? 根本的な性格や個々の家庭生活なんかを企業に云々されるのは人権侵害だと思うんだけど。給料分の労働力を誠実に提供している社員に対してやっていいことではないと思うのよ。」
などと、小賢しげに考える人間は要らないのですよ。
でも、わたしは更に考える。
「たとえば不誠実な社員に対して企業がやっていいのは、解雇するところまででしょう。人格を変えようとまでするのは思い上がりもはなはだしいと思う。」
まあねえ、使えない人間でも使えないからって、簡単に解雇できるようなご時世じゃないからね。雇用する側がそれをどうにかしたいって思うのも判るけどね。
だから、初対面の人間に激しく罵倒されたり、抱き合ったりする、ラテン系メロドラマかとゆーよーな、日本人にとっては、異常事態ともいえる状況にほうりこんで、存分に判断力鈍らせた上で、会社のため、社会のために尽くすことが、ひいては、家庭、個人の幸せに繋がるという考えを吹き込むわけですよ。まったくもって、企業側に都合のいい考えを、判断力の鈍ったアタマにね。
その考えが正しいかどうかは問題じゃない。
いや、その考えが反社会的なものであって、受講者がそれに染まるならそれはもうれっきとしたカルトだから。
一面で正しい考えだからこそ、わたしはイヤだと思う。むしろ正しいから、カルトになりえない。結果わたしは民主主義に負ける。多少のご利益があるから、世の中にはびこるんだ。マルチまがいも宗教も。・・自己啓発セミナーもね。
ははは。冷静になってよくわかった。やっぱり、あの職場とはご縁がなかったのですわ。わたしたち。要らない人間が辞めただけですよ。丸く収まったわね。
・・例によって続きはまた今度。