福山といえば、わたしのルーツの4分の一。

駅を出てすぐにさ、なんかでっかい看板があって。
なんか島田荘司が、福山市主催のミステリー文学賞を立ち上げるとかで。

わー。昔よく読んだなー。島田荘司ー。でもなんで福山で? と思ってよく見るとさ。このひと福山出身なんだー。知らなかった。

井伏鱒二以来の福山の有名作家?wikiでみたら、二人とも同じ学校いってたのねー。

井伏鱒二といえば、加茂町の出身なんだよね。なんでそんな細かいことを知ってるかとゆーと、加茂は、わたしの母方の祖母の実家があって、幼いころからよく行ってた町だから。

祖母は、魚屋さんの娘で、手伝いで配達とかをやってたんだけど、戦時中に疎開して帰ってきてた井伏鱒二のお宅にも届け物をしたらしい。

「なんか怖そうなひとだった」とか証言。

祖母の昔話を聞くのが好きだ。この人の話は明るい。戦争中の話とかでもね、なんだろう。学校で教えてくれる話とか、悲惨で「二度と過ちはくりかえしません」的なぐったりした気持ちになるばかりだが(もちろんそれだって真実なのだけど)、戦争中だってなんだって、その時代にも、毎日細かくイヤだったり楽しかったりする日々があって、世の中がどう動いたって、人は生活してたんだ。と思えるからね。

終戦間際、彼女は、呉で飛行機作ってたらしいです。

そら、戦争に負けるわ。機械のことなどまるきり判らない田舎娘たちが組み立てた飛行機・・。うはあ。乗りたくねえ。

祖母証言によると呉からも、きのこ雲は見えたらしい。結構離れてるよねえ。広島市内から呉って。

あ、そのころ、(今はもう亡くなった)祖父は、赤紙にはるばる高知まで呼ばれたものの、出征前に終戦になって、どうやって帰ろうかと思案してたらしいです。よその畑のスイカとか盗んで食べながらなんとか岡山まで帰ってきたらしい。窃盗・・。時効。でも、作物が豊かな夏でよかったよね。

この二人が結婚して、母が生まれた。祖父母もたくましい遺伝子を受け継いで。

一度祖母とは呉の大和ミュージアムに行っていろいろ解説聞きたい。きっと、ミュージアムの解説とは違う解説が聞けるはずだ。