「時計館の殺人」
とゆー、小説がありましたが。
時計・・中でも腕時計は、携帯電話の普及と共に、「絶対に必要」なものではなくなってしまったがゆえに、機能性よりも、デザイン重視になってしまった感がないですか?
かわいくなくちゃ、赦せない。
趣味とか、こだわりとか、そういう世界のなかのモノ。
時計館の時計は、趣味とこだわりの道具であり、殺人の道具だったわけだが。
わたしにはお気に入りの腕時計が二本あるのだが、どちらもデザイン重視で選んだものだ。ほとんどブレスレットと同義だな。うちひとつは実は仕事用時計なんだけど。水色のレトロモダーンなカンジのと、ダリの絵をモチーフにしたの。ダリのは、一年憧れて買い求めました。一年間ずっと買おうかどうしようか迷ってた。もう10年も前の話。
かわいい時計は、なんだったら、動かなくてもいいくらいのイキオイだ。(うそ。仕事用は正確に動いてもらわなくちゃ困ります)
趣味とこだわりの道具には、思想とか主張とか生き方とかそーゆーものがまじってくるわけだな。でも殺人は混ぜちゃだめだよ。
つーことで、シチズンと福山雅治とのコラボなんだそーですよ。その企画第一弾として『REAL SCALE(リアルスケール)』とゆーフリーペーパーが創刊されるそーですの。
フリーペーパーかー。いよいよ、文化とか思想とかそういう匂いが強くなってきたカンジがするー。
時計屋さんで手に入る、フリーペーパーという名前の文化。面白いかもー。
よく考えてみれば、時計って、ほかの道具にくらべて、はるか昔から趣味の世界のモノであった気がするので(やたらと細かい機能を持ってみたり、やたらと高価だったり・・マリー・アントワネットの懐中時計みたいのとか)、もしかしたら、当然のなりゆきだったのかもしれないねー。